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ガンについて

あくまでも今の私感です

ホルミシス酸素カプセルを知り、HHP本部(伊勢崎市大手町6-9)責任者である梅田社長の話を聞いたり、そして何よりも身内がガンになり、その後の経過を見ていて思うのは、ガンという病気は人間にとってある時は体を痛めつけ時に残酷な結果をもたらすものだけれど、違う側面からみると人生について深く考える時間や自分の店じまいをさせてくれる時間をもたらしてくれる病なのかもしれないと。これは弊社にいる両親をガンで亡くした社員も同様のことを言っていました。彼はまだ40代だけれど、私も死ぬのなら「ガンで死にたい」とまで言っています。

私自身はそこまでは思えません。が、実は、今年身近な人の親が、ある日突然亡くなってしまったことを目の当たりにし、本人はきっと朝起きたとき、まさか自分が今日この世から居なくなるなんて思いもしなかったろうに、やっておきたいこと、整理しておきたいことなども、沢山あったろうに。でも現実は残酷にも、そんな時間を与えてくれなかったわけで。まわりの人も、その突然の死を急に受け止めなくてはいけなくて、てんてこ舞いだったのではないかな?と思うと、社員の言うことも、まんざらでもないなと思えたりするのです。

自分に置き換えて考えてみれば、確かに誰でも必ず死は受け入れなくてはならないわけで、極端に言えば人生とは、死に向かってまっしぐらに進んでいく道を歩むことなのかもしれませんよね。でもそれは極論であって、その途中に色々なことが誰でもあって、でもいつ終わるのかわからない。だからある種、ガンというのは、その路上にある標識の様なものかもしれません。

今週月曜日、私が子供の頃、釣りをしたり野球をしたりよく遊んだ幼馴染が亡くなりました。偶然同じ日に、大学時代ともに学びバカをやった友人も亡くなりました。彼はガンが発覚してから、治療をし、闘病の末に亡くなったのです。大学を卒業して30年以上ですが、結局彼と最後に会ったのは、東京を離れる寸前の彼のボロアパートでした。私と同じ駅を利用してた彼。英語も得意で仕事ではアメリカ赴任もし、最近ではそれなりのポジションにも就いてた彼。学生時代はジャズ研に席を置き、めちゃくちゃ上手いボーカルでした。今年8月末に電話で会話をしたのが、最後になりました。その時は、そんなことお互い思いもしてなかったでしょう。

突然の死、病と付き合う時間をもらいながらの死。選べと言われたら、貴方はどちらを選びますか?